創設者&ディレクター
恵子・ホームズOBE
熊野古道で有名な三重県熊野市紀和町が生まれ故郷。 「小学6年生」という雑誌のふろくで英和辞書をもらったことが、語学習得の志しにつながった。東京での学生時代に知り合ったロンドン出身のクリスチャン、ポール·ホームズ氏と卒業後に結婚。いつも穏やかで心優しい夫ポールのようになりたいと「まことの世の光」である主イエス·キリスを受け入れ、洗礼を受ける。
長男が8歳の時、2人の息子を連れてロンドンに移り住んだが、 5年後に最愛の夫を飛行機事故で亡くす。職場では涙が止まらなかったこともある。苦難の年月は「いつも共にいて下さる」主イエスの愛と恵みに支えられ、異国の地ながら女手ひとつで子供たちを育てた。
人生の転機となったのは、1988年の里帰り。地元·紀和町にあった元英軍兵士の墓は新しく建て替えられていた。そこに添えられた銅製の十字架。夏の陽光に輝く十字架のそばで、神様に語られた。極東の戦地で朽ちた兵士らの母の思いはいくばくか!?「息子たちの思い出が日本人の手で大切にされていると伝えてあげたい」。
丸1年の祈りの末、 やっと探し当てた1人の元捕虜、ジョー・カミングズ氏。彼の心は頑なだった。ほかに元捕虜がいると聞けば、英国中どこにでも会いに行った。彼らのメッセージを携え、日英を往復すること約4年。両国の元兵士や民間人の証言とエッセイを集めたて手作り冊子「リトル·ブリテン」を2カ国語でまとめると、こり固まっていた捕虜たちの心がほぐれ始めた。
1992年の秋。初の「心の癒しと和解の旅」が実現する。日本各地の大学や小中高校で若い世代と交流したり、教会での和解礼拝を行った。日本人家庭へのホームステイも取り入れた。日本への憎しみに燃えていた元捕虜たちの心も和らいでいった。
「日本人を赦す」と表明した瞬間。車イスから立ち上がり、歩き始めた元英兵士もいた。日本人との親しい交流は、英国の地にも広がった。元捕虜たちが今度は、自宅に日本人をステイさせてくれるようになった。
アガペの旅には、英兵以外の連合軍元捕虜たちの参加も増えていった。協力者が現れ、日本企業や政府からの助成金も頂いた。これまでに訪日した元捕虜関係者は合計500人を超える。資金援助は 2006年で途絶えたが、全額を自費で負担してもアガペの旅に参加したいとの希望者は絶えない。コロナ感染症で延期した2020年秋の旅には約25名が参加予定だった。
英女王エリザベス2世からは大英帝国第四級勲功章(OBE)を受章。天皇 皇后両陛下とも謁見し、感謝の意を表された。アガペの旅を通して「心の癒しと和解」ができたのは、十字架上で人の心の罪を贖い、天地を創造した父なる神様との和解を可能にした子なる神・救い主であるイエス·キリストの「アガペ(無償の愛)」の力と確信している。
人間を様々なしばりから解放する主イエスの愛を伝えるため、元捕虜たちの心や身体の癒しで示されたアガペの力を語り続けるため、日英をまたぐ恵子・ホームズの活動はとどまることがありません。