このところ縁あって夏の一ヶ月ほどをブルガリアで過ごしている。 ブルガリア人の若い友人の一人がロンドンの大学院へ留学するというので、恵子・ホームズさんを紹介してさしあげたら、 恵子さんから、ウエルカムの言葉とともに、ブルガリア人を父にもつ日本人ピアニスト、ジュリア・赤津・ストヤノフさんを ロンドンで支援してきたという話を伺った。「ブルガリアの方々との交流がこんなにも広がるとは何とエキサイティング」と恵子さんはおっしゃる。 世界中の心と心をつなぐという恵子さんの働きは、ついにブルガリアにも及んできたといえる。
恵子さんとのお付き合いは、3年前に遡る。平成20年12月、南原繁研究会が開催される神田の学士会館の食堂で、 夫人がアガペのメンバーである大学のクラスメートの肝入りで、クラスメート幾人かと恵子さんとの昼食会が催された。
そのとき参加したクラスメートの一人が、商社の欧州支配人としてロンドン駐在の経験者だったこともあり、 恵子さんの活動をよく存じ上げていたので、その日の集まりは初対面にもかかわらず、親しさと共感のこもった集いとなった。 小生がその席に招かれたのは、発起人役の友人が、横田ならクリスチャンだから話が合うだろうと考えて、 親しい友人たちに声をかけてくれたからである。あらかじめ恵子さんの著書を送ってくれていたのでなお話がわかりやすかった。
小生がキリスト教に関心をもったのは、大学入学のころ、世話になった先生方に南原先生や矢内原忠雄先生といった内村鑑三門下の諸先生と そのお弟子さんが多くあったからである。2年の終わり頃からは、終生の親友となる星勇兄に連れられて、やはり内村先生の直弟子である塚本虎二先生の丸の内基督教講演会に 出席するようになる。
また、本郷の学部に進学してからは、西片町にあるキリスト教学生寮に入って、内村門下やその他の教会の牧師、 司祭である諸先生の薫陶に与りながら学生生活を送った。1902年、ボストンの神学校やハーバードに学んだ一介の苦学生阪井徳太郎の創立になるこの寮・財団法人同志会は、 「品性を修養し知性を啓発して基督教人格を作ろうとする同志」による「清高和楽なる家庭を組織する」ことを綱領としており、 宗派をこえてプロテスタンティズムの正統を維持してきた。
恵子さんを識ってから、塚本門下で学ぶ東京聖書読者会の日曜集会でお話しいただいたり、 同志会学生寮の金曜会礼拝に参加していただいて、礼拝での感話や礼拝後の会食交流会で学生たちの質問に答えていただいたりした。 感受性豊かな学生たちは、事前に恵子さんへの質問を多く用意して賓客を迎え、恵子さんもまた丹念にこれに答えられた。 理事であった小生は、この日の感話や質疑応答を特集して会報に掲載し、理事会の承認を得て恵子さんに提供した。
また、小生は俳句の会を主宰しているが、会の月報の巻頭エッセイや随時発行する掲示板で、恵子さんとの交流やその働きを紹介してきたので、 会員の中にも恵子さんを理解するものがふえて来た。その縁で、この「山麓句会」の会友になった一人にアガペ・メンバーの河田美賀子さんがいる。 会友とは、毎月の投句はしないけれど、月報や掲示板が提供され、投稿や行事への参加が認められるメンバーのことである。
信濃町のレストランで会員が集まった際に恵子さんや日本での世話役代表の小菅啓子さんも加わって歓迎会をもったことがある。 アガペ・メンバーのような直接的な支援の形をとってはいないが、俳句を共通の趣味とするこの仲間たちは、 だれもが恵子さんに敬意と関心と親しみをもっているといえる。
妻の百合子が路上で抱き合って別れを惜しみ、 それをもう一人のKEIKOさん・小菅啓子さんが笑いながら見ている写真があるが、これはそのときのものである。 百合子も俳句は作らないが画家のはしくれであるので、会友として、毎年1冊発行しているこの会の句文集のカットを担当している。 その本も今年で15冊になる。ときどきのメールに俳句を織り込み、余裕ができたら本格的に俳句に取り組みたいといっておられる恵子さんが、 わが山麓句会に入会されるのはいつの日のことであろうか。