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阪崎高志

 

身近な記憶・「戦争の断片」

 

私は紛れも無く「後期高齢者」と括られる一員で、先の戦争を知っている最後の世代に属します。一旦、戦争が始まると国民の日常生活が戦争に大きく左右されること、戦死の惨たらしい現実を白泉の句は暗示しております。白泉は昭和十年前後に盛んだった「新興俳句」運動の旗手の一人でしたが、やがて当局によって弾圧の憂き目に会いました。

 

 

戦争が廊下の奥に立ってゐた 赤く青く黄いろく黒く戦死せり

渡辺白泉

 

 

私の身近なところにも戦争の断片は幾つかありますが、代表的なものを話しましょう。

 

妻は福井市で空襲を体験し焼夷弾が降ってくる中を家族四人で懸命に逃げて命拾いをしました。女学校の教頭をしていた妻の父は警戒警報発令とともに天皇陛下のご真影を守るために学校へ出かけたのですが家の方角の空が真赤に燃えているのを見て引き返して来て家族を誘導して郊外へと逃げたのです。

 

翌朝、家があった辺りへ行ってみると一面の焼け野原で幾つもの焼死体も見たそうです。もし、父が引き返して来なかったならば庭の防空壕の中で焼死していたかも…と述懐しております。

 

職務への忠誠か家族への愛か、迷うことなく家族への愛を選ぶには当時としては勇気のいったことでしょう。

 

長兄は海軍の兵卒で建造されたばかりの最新鋭の駆逐艦「涼波」に乗り込み南の海へ。ソロモン海域を西に東に敵艦を探しもとめたものの遭遇せずラバウル基地に帰港。その二日後、出撃準備をしている最中に敵機の襲撃を受けました。

 

艦はタラップを揚げる間もなく発進して十二・五糎砲六門で迎え撃ちましたが二百とも三百とも知れぬ敵機の数に衆寡敵せず、機銃掃射と空中魚雷による猛攻に曝され甲板はたちまち阿鼻叫喚の巷と化しました。艦は完全に戦闘不能の状態に陥り、やがて大轟音とともに真っ二つに折れて乗組員はあっというまに海中にほうり込まれました。

 

気がついたらラバウル海軍病院のベッドの上、外傷は多少の打撲傷とかすり傷ぐらいでしたが海水と重油をしたたかに呑んで重度の胃腸障害を起こしていました。ちなみに「涼波」の乗組員二百数十名のうち戦死者は二百名近く、生還できたのは幸運としか言いようがありません。

 

身近な戦争の断片を述べましたのは「戦争の虚しさ」を今一度確認したかったからです。恵子さんの「和解」へのひたすらな活動は自ずと「不戦」に繋がっていくのでは。

 

2011年10月記

 

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