「あなたは高価で尊い」とは、旧約聖書のイザヤ書43章4節に記された、天地創造の神である主が、人に向けて語られたみ言葉です。このみ言葉をタイトルに掲げた20日の特別講演で恵子・ホームズは、アガペ・ワールドを立ち上げるに至った経緯から、元戦争捕虜たちが実際に経験した和解と身体の癒しのエピソードを紹介。涙と感動がオンラインの画面を通して漏れる、祝された時となりました。
「英国人元捕虜の立場で聞いている自分がいた」ーー。ロンドン在住という20才台の韓国人女性は、講演後の質疑応答の時、こう吐露されました。日本で在日韓国人として育ったご経験から「日韓関係は政治レベルではどうにもならない」と発言。その上で、「人レベルでは和解や癒しが可能だということに励まされ、感激した」と語ってくださいました。
「韓国人なのに、日本名に変えられた」という戦時中の事実を、米在住の友人を通し、最近知ったというパリに住む日本人女性は、「今はまだ細い糸のような関係。だが、事実を認め、謝りたい」と考えておられる現状を分かち合ってくださいました。
韓国の若い世代の言葉に、「ハッとした」と言われるのは、読売新聞の欧州総局長の緒方賢一氏。
戦後、何十年の時を経ても、癒されない深い傷は、世代を超えて引き継がれてしまう面があるのは紛れもない現実です。アガペの活動は「加害者や被害者、歴史認識など立場や見解の違いを越えて、人々の心を打つ。戦争が残した心身の傷の癒やしを考える貴重な体験だった」(緒方氏)。
アガペの活動概要は「知っているつもりだった。しかし、日本を憎んでいた元捕虜たちが、日本に行ったことで、『墓場まで憎しみを持って行かずに済んだ』と開放感と癒しを得たことには心が揺さぶられた」(同)とも語ってくれました。
日本時間では真夜中であったにも関わらず、名古屋から参加してくださった男性教諭は、「今の日本は自虐的歴史観として嫌厭する傾向がある。事実を事実として受け止めにくくなっている」と指摘。戦争の歴史に伴う負の事実や、それらを取り巻く様々な問題、そして、和解の必要性を「いかに中学生や高校生などの若い次世代に伝えられるのか」(同)と疑問を呈され、教育現場での取り組みを忘れてはいけない点を鋭く突いてくださいました。
朝日新聞の慰安婦報道を巡る訴訟で最高裁判所が「慰安婦の強制連行」という一連の報道は「捏造だった」とする判決を下しており、自虐的歴史観を避ける風潮に拍車がかかっています。事実関係から離れた誇張や誇大から自虐的に陥るのではなく、また過少に振れ過ぎて、傷ついた相手を無視するのでもない。事実には忠実でありながら、1人の人として寄り添い、触れ合うことの大切さを思います。
「戦争に自分が関わったわけではない。それなのに、謝れたのは奇跡的。逆風にあっても、和解の活動を続ける事ができたのはなぜ?」(韓国人女性)との質問に対して恵子は、「それは私が神様の愛に触れたから。傷ついている人たちにその愛を伝えたい」と語った。
また、「古代ペルシャ王国の捕囚だったダニエルは『先祖の罪』に対する悔い改めの祈りを捧げている」と、旧約聖書のダニエル書9章(注釈*を参照)の例を引用。「自分のお祖父ちゃんが隣の人の家の何かを壊したとしたら、それを謝るのは当然のこと」との信条を明かした。
特別講演の主催は、南ロンドン日本語キリスト教会(右の写真が清水勝俊牧師と由紀子夫人)。
コロナ規制のため、やむを得ずオンライン開催となりましたが、オンラインのお陰で、通常だったら会場には足を運べなかったであろう方々が、フランスやスイス、日本からご参加くださったこと、また、講演の機会を与えてくださったことに心より感謝いたします。
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注釈* 旧約聖書のダニエル書9章の祈りは下記の通り。
「私は、私の神、主に祈り、告白して言った。『ああ、私の主、大いなる恐るべき神。あなたを愛し、あなたの家を愛し、あなたの命令を守る者には、契約を守り、恵みを下さる方。私たちは罪を犯し、不義をなし、悪を行い、あなたにそむき、あなたの命令と定めとを離れました。私たちはまた、あなたのしもべである預言者たちが御名によって、私たちの王たち、首長たち、先祖たち、および一般の人すべてに語ったことばに聞き従いませんでした」(4−6節)。
「主よ。正義はあなたのものですが、不面目は私たちのもの…。これら(捕囚のみじめさ)は、彼らがあなたに逆らった不信の罪のためです。主よ。不面目はあなたに罪を犯した私たちと、私たちの王たち、首長たち、および先祖たちのものです。あわれみと赦しとは、私たちの神、主のものです。これは私たちが神にそむいたからです」(7−9節)。
「私たちは、私たちの神、主の御声に聞き従わず、神がそのしもべである預言者たちによって私たちに下さった律法に従って歩みませんでした。…あなたの律法を犯して離れ去り、御声に聞き従いませんでした。…このわざわい(捕囚)は…私たちの上に下りましたが、私たちは不義から立ち返り、あなたの真理を悟れるよう、私たちの神、主に、お願いもしませんでした」(10〜13節)。
「…私たちは罪を犯し、悪を行いました。主よ。あなたのすべての正義のみわざによって、どうか御怒りと憤りを…おさめてください。私たちの罪と私たちの先祖の悪のために、…あなたの民が…そしりとなっているからです。私たちの神よ。今、あなたのしもべの祈りと願いを聞き入れ、…御顔の光を…輝かせてください。私の主よ。耳を傾けて聞いてください。目を開いて私たちの荒れすさんださまと、あなたの御名がつけられている町をご覧ください。私たちが御前に伏して願いを捧げるのは、私たちの正しい行いによるのではなく、あなたの大いなるあわれみによるのです」(15d〜18節)
「主よ。聞いてください。主よ。お赦しください。主よ。心に留めて行ってください。私の神よ。どうか聞いてください。主よ。お赦しください。主よ。心に留めて行ってください。私の神よ。あなたご自身のために遅らせないでください。あなたの町と民とには、あなたの名がつけられているからです」(19節)。
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編集後記(クリスチャンとして)
30年を超える和解の活動で、恵子氏を突き動かし、支え続けたダニエルの祈りは、今を生きる私たちに何を指し示しているのでしょうか。ダニエルは「先祖の罪」について3回も、繰り返し言及し、為政者から一般人まですべてが、神の律法を犯し、神から離れ、不義を行なったとの認識に立って悔い改めています。祈りと願いを聞いてくださいと懇願する前に、捕囚の憂き目にあっても、不義から立ち返り、神の真理を悟るための努力を怠っていたと、祈りの中心点に当たる13節で認識している点が示唆的と言えます。
ダニエルの神、主であるイスラエルの神は、唯一無二の「ひとり」の神であると聖書は強調します。ヘブライ語原語は(אחד, echad)は単なる唯一性や単一性を示すのではなく、「複雑に絡み合った協調性」であると解説されます。国と民、そして歴史という3者は切っても切れない相関関係にあるという神の律法の視点に立ったダニエル。その祈りは、「『天のみくに』をこの地に来らせ給え」と祈るクリスチャンに、天の国とその民、その歴史の相関性に気付きを与えています。教父や先人の行いによって織りなされてきた教会史を、天のみくにの民として、ダニエルのように振り返り、神の真理を求めることで、先祖のあやまちに気付き、悔い改めるよう促しているかに思えます。
Posted by HUMc on 26th March 2021